葉のブログ

忙しい合間にも漫画とか映画とか

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コロナに助けられた話(?)

 店頭にはマスクやトイレットペーパーが並ばない日々が続いています。かくいう私も大学の春休み、楽しみにしていた旅行やイベントが延期になったり、変更を余儀なくされたりと影響受けまくりです。

 

 コロナで影響を受けたと言えば実は3月に予定されていたTOEICも中止になってしまいたした。さて、私は1月のTOEICに11月頃に申し込みました。4月以降はインターンだ、来年の今頃は就活だと意識を高く持っていこう!という自称意識高い系に一直線。しかし大学の中間試験その他もろもろでTOEICの勉強のやる気など起きず、ノー勉で1月のTOEICに乗り込むことに。勿論結果は惨敗。一応大学に通うだけの英語力があると思っていたのですが、履歴書に書くこともできない意味のない数字でしたね。

 

 問題はそこで終わらなかったことです。2020年を迎えた私はノー勉でTOEICに臨む腹をくくると共に次のTOEICの申し込みをし、およそ5000円を振り込んでいました。そう、3月のTOEICで挽回してやろうという心積もりです。

 

 2月頭は期末試験で終わり、さらにそこからサークル活動や自動車教習に没頭。それと同時にコロナが爆発的な流行を見せ、TOEIC中止のメールが届きました。

 

 そこで気づいてしまったのです。あれ、勉強してなくね???

 

 大学に入り、一人暮らしを始め、「勉強」という強要は存在しなくなった。小説や漫画などを読んだり、色々なところに旅行したりして自分の世界を広げよう。今まで出来なかったことに挑戦しよう。しかし、その結果として今までやってきたはずの所謂「勉強」が出来なくなったなぁと思ってしまいます。

 

 自分が好きな分野の知識は次々と増えていく一方で「気が乗らない」ものは永遠に触れられない。狭く深く、の世の中だとしてもその範囲は広ければ広いほど良いと思います。

 

 これは小説とかでも同じですよね。自分が知らない世界を書くのは難しく、しかし作品には誰も知らないような世界観が求められることも多い。だから深くだけでなく、たまには広くするために他に目を向ける必要があると思います。

 

 何が言いたいかと言うと、コロナのお陰で「色んなものに目を向けている気になっていた」ことに気づけたということです。イベント関係ではコロナ許すまじという感じですが、今後は一層、興味や集中力の向け方を意識して操縦しなければならないという気づきがあったという話です。