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【感想と考察】『尾守つみきと奇日常。』57話「つみきさん達とパーティー。」58話「雷漸会長と雷。」59話「雷漸会長と約束。」【漫画】

 2025年3月-4月にサンデーうぇぶりで『尾守つみきと奇日常。』最新57話「つみきさん達とパーティー。」、58話「雷漸会長と雷。」、59話「雷漸会長と約束。」が更新されたので感想と考察を書いていこうと思います。

 前回の感想記事はこちらから。

isoisogingin.hatenablog.com

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57~59話感想と考察

幻人と人間が共存する世界

 本作品の前提として幻人と人間は必ずしも友好的ではない。本作品で当たり前のようにつみきさん達の日常が描かれているから忘れがちになる。1話の冒頭でもモノローグがある通り、幻人は認知され始めた段階だし、友孝くんが通う学校の幻人の多さも日本一である。

 だから、人間と関わる幻人は人間との橋渡し的役割を担っている。多様性が叫ばれても偏見や先入観はゼロにはならない。だからこそ、人間と関わる幻人が率先して、自分たちの能力は個性の範疇であり、危険なものではないことをアピールする必要がある。

 未知は怖い。

 しかし、知っていても怖いものもある。今回57話~59話を通して描かれているのは彼ら彼女らの穏やかな日常を眺めていると忘れてしまうような”この物語の前提”である。

 その舞台はパーティー。

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Ⓒ小学館 2025
森下みゆ『尾守つみきと奇日常。』57話 より

 そして、この57話~59話の3話で物語の中心となるのは雷漸会長である。

 雷漸会長は10分に1回放電をしてしまう。この能力は正しく先ほど記載した”知っていても怖いもの"であろう。そして雷漸会長もそれを理解している。だからこそ、会長は放電を我慢してパーティーのスピーチに臨んだ。

 その結果は、観衆の面前での放電である。

 突然の放電。それは幻人が自身の力を制御できていないことを示す。そして、その事実は人間に恐怖を与える。雷漸会長はその場を後にしてしまう。

雷漸会長の過去

 雷漸会長が異常なほどに効率思考であり、常に何かを成し遂げようとしている。そんな性格に拍車がかかったのは過去の経験からだ。同様のことで言えば、つみきさんも過去の経験が今の”自分の顧みなさ”に繋がっている。

 幻人の能力を怖がらなかった少女、雨森心晴。彼女は雷漸会長と仲が良かったが、持病で体調を崩し、入院することとなる。それどころか心晴の父親は幻人である雷漸会長と会わせて危険があってはいけない、と心晴との面会などを拒絶する。

 つまり、雷漸会長の行動は全て、自分自身が危険ではないことの証明なのだ。それを分かったうえで振り返ると、今回の放電は彼の信頼の積み重ねを崩しうる現象であるとも言える。それ故に雷漸会長は失意に飲み込まれる。

友孝くんの性質

 そんな雷漸会長に対して、もう一度立ち上がるキッカケを作るのが友孝くんである。彼は人間や幻人という区別なく、誰に対しても知ろうとする。それは、友孝くんが自身の感情を探しているからこそ、他人の感情に対しても敏感なのだ。

 Ⓒ小学館 2025
森下みゆ『尾守つみきと奇日常。』59話 より

 そして友孝くんの答えは「雷漸会長の力になりたいと思っている人も居る」である。確かに放電を見て怖がる人も居るかもしれない。しかし、それと同時に雷漸会長の普段の行動を見て、力になりたいと思う人だって必ず存在する。

 これは会長の積み重ね故だ。

 そんな友孝くんと雷漸会長は倒れそうになる観覧車を修正するために、最繰さんの蜘蛛の糸と電気を合わせて固定するということをやってのける。これは彼が電気の力をコントロールできているからこそである。

 そして、その様子は心晴の病室まで届いた。

 結果として雷漸会長は自身の目的を認識し直した。心晴は元気であることを証明し続けてくれた。であるならば、自身が安全であること、人間と共存できることを胸を張って証明し続けるだけである。

主のイチオシシーン

 何がどうして、本当にそうなったのか。つみきさんが力持ちであっても限界があるだろうとツッコミたくなる1コマ。ただし、つみきさんは言葉をかける素振りからまだ余裕がありそうなのが恐ろしい。

 Ⓒ小学館 2025
森下みゆ『尾守つみきと奇日常。』59話 より