2021年6月24日発売の「ヤングジャンプNo.30」で『【推しの子】』の最新48話「修羅場」が掲載され、更新されています。
前回の感想記事はこちらから。
48話「修羅場」感想と考察
漫画家にとっての修羅場
修羅場
端的に言って「激しい戦いの場」という意味であろうが、現実世界では専ら仕事の炎上や人間関係での喧嘩などのあれこれに使われる言葉である。そして漫画家もといクリエイターにとって修羅場とは締め切り前の数時間を言うのだ。
修羅場になるには勿論様々な理由が考えられる。そもそもアイデアが思い浮かばないこともあれば、気持ちの面から仕事をする気にならないこと、作業が延々と終わらないこと。それらを回避するためにクリエイターの仕事を調整するのがマネージャーや編集者の仕事でもある。では、なぜ人気漫画家であり、編集者もついているアビ子先生は修羅場に居るのか。
答えは一つ。こだわりが強すぎてアシスタントを辞めさせ、その分ワンオペで作品作りを回しているからだ。しかし、それすらも表面上の理由に過ぎない。確かにアビ子先生がこだわりが強いことは今までも示されている。では、なぜそこまでクオリティを求めるのか。
『【推しの子】』48話 より
ディスコミュニケーション
「陰キャ」という言葉が普及して久しいが、この言葉の本質はディスコミュニケーションである。一定数存在する「陰キャ」という人種であるが、ではなぜコミュニケーションを苦手とするのか。単純に経験が少ないための食わず嫌いもあるだろうし、逆に何かコミュニケーションを拒むような経験があるのかもしれない。つまるところ「陰キャ」の理由も人それぞれなのである。
修羅場という限界状況の中では人間は余裕などない。そこで口から出るのはありったけの本心であり、真実なのである。アビ子先生が背負う人気作としてのプレッシャー、他人からの期待、自分の作品への愛。様々なものが混ざり合い、ディスコミュニケーションを人のせいにして、作品のクオリティを人質にして逃げ回る。そのツケが劇団での発言に繋がる訳だ。
誰だって好きなものには愛がある
『【推しの子】』48話 より
アニメやドラマなど漫画原作の二次創作的な作品のクオリティが低いとネットで炎上するのは常である。そこには自身の好きな作品を穢されるような想いがあるのだろう。そして、それは原作者でも同じなのである。原作者が一番のファンというのは良く聞く言葉であるが、その通り原作者とは作品の「親」であり、その愛も人一倍あるだろう。そして、アビ子先生は吉祥寺先生が他の人に任せた結果として「今日あま」のドラマが失敗したのを目の当たりにしたのだ。その気持ちも分からないでもない。
でもこの世の全ての物は人が関わって成立する。ヒトとヒトが助け合って「人」という字が出来るなんて言われるが、完璧な人間が居ない以上むしろ完璧に成功することの方が難しいのであり、成功したらラッキー儲けものくらいの気持ちで臨むのが正しいスタンスなのだろうと、吉祥寺先生の言葉には思わず共感してしまう。
『【推しの子】』48話 より
ちょっと気になるところ
『【推しの子】』48話 より
吉祥寺先生の台詞からアビ子先生が『刀鬼』と『鞘姫』のカップリングは読者の期待に応えようとしただけで、本人としては不本意であることが仄めかされた。劇でのキャストとしては『刀鬼』はアクア、『鞘姫』はあかねである。
恐らく今後の展開としてアクアが自身が劇場に足を運び、最新技術を体感したように、アビ子先生にも同様の経験をしてほしいと劇場のチケットを渡すことが予想される。そして劇、脚本家と和解し、劇が本格的に進んでいくことになった時に、もし原作者としてのエゴが発生するとすれば、それはこのカップリングになるのではないだろうか。つまり原作とは異なり、劇の上ではアクアとあかねのカップリングが成立せず、別のカップリングや展開になるのではないだろうか。
勿論、重曹ちゃん推しの私が妄想する戯言なのだが、そのような期待をしてしまうのだ。
↑勘違いして誤情報を載せていました!
申し訳ありません!