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【感想と考察】『【推しの子】』45話「伝言ゲーム」【漫画】

 2021年6月3日発売の「ヤングジャンプNo.27」で『【推しの子】』の最新45話「伝言ゲーム」が掲載され、更新されています。一週空いて、待ちに待った『【推しの子】』の感想を書き殴っていきたいと思います。

 前回の感想記事はこちらから。

isoisogingin.hatenablog.com

 

 5月に最新4巻が発売されています。

 

 

45話「伝言ゲーム」感想と考察 

全直し

 ある作業において、様々な部分が固まり、具体的な形が見えてきてからの根本の訂正というものは難しいものである。それはどの業界にも通ずるものがあって、アビ子先生が投げた「脚本全部直してください」という爆弾にその場は正しく衝撃を受けた。

 伝言ゲームという言葉が本編でも使われている通り、実際のメディア化において原作者と脚本家が直接連絡を取り合うというのは滅多にないようで、その間には多くの人が関わる。そのため言葉は様々な人の解釈が加わり、捻じ曲がる。そして原作者というのは作品における神であり、アビ子先生の提案は「直さないのなら劇の許諾を取り下げる」という何とも自己中心的なものであった。


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『【推しの子】』45話 より 

 

 アビ子先生が「うちの子」という表現を使っていることからも、作品が自身の手から離れていないことが分かる。 

 

メディアミックスは誰の作品か

 このような話は何年も前から存在するものである。目立つのはアニメ化であろう。近年のアニメ化する速度が急速な社会において、その作品を原作通りにするのか、アニメオリジナルにするのかというのが一番わかりやすい人の意図の入り方であろう。

 漫画というのは漫画家が考え、漫画家が描き、アシスタントなど居てもそれは全て自身の指示通りな訳で、文字通り「原作者」の作品なのである。そして漫画家としてはその作品は自身のものであり、自身の意図とは異なるものが起こった時に、「自身の作品から離れる」のだ。しかし、これは当たり前な訳で今まで自分一人で作ってきたからこそ自分の意図が100%通ったのであって、俳優、脚本家、プロデューサーなど多様な人が関わった時点で元は自身の作品であっても、これから作り上げるのは「皆の作品」なのである。社会においてあらゆる対応には「コミュ力」が必要なのと同じなのだ。有馬かなが様々な作品の中で演じることでコミュ力が必要であることを学んだが、アビ子先生はそのように「皆で作る経験」が足りておらず、そのために一人で作るものと同じように考えてしまっているのだ。そのような意味で「こだわりの強さ」と「社会性の欠如具合」は正しく比例するのだろう。


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『【推しの子】』45話 より 

 

 そして、このような「コミュ力」の欠如による問題というのは、実際に起こりうることなのであろう。これがどのような結末を迎えるのか。『【推しの子】』は有馬かなの演技然り、鏑木Pのコネ然り、その「コミュ力」が必要な世界であることは散々描かれている。次回以降どのような展開になるのだろうか。

 

今週の重曹ちゃん

 2コマしかおらんやん。


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『【推しの子】』45話 より