2021年10月14日発売の「ヤングジャンプNo.47」で『【推しの子】』の最新60話「太陽」が掲載され、更新されています。
前回59話のあらすじなどは以下のリンクから確認をお願いします。
因みにですが、以前『【推しの子】』の今後の展開について割と本気で考察した記事を書いていますので、今後の展開まで予想したい方は以下の記事をチェックしてください。また、この記事で書いてある考察などを前提にこの記事のように各週の感想記事も作成しています。
60話「太陽」感想と考察
出来レース
あかねと重曹ちゃんの出会い。それはとあるオーディション会場であった。
しかし、その出会いは輝かしいものではなかった。
重曹ちゃんの真似をしていたあかねは重曹ちゃんと間違えられてオーディションが「出来レース」であることを聞いてしまう。
「子役」の旬が少しずつ陰りを見せて、芸能界が演技の良し悪しだけではなく、有名か否かで回ることを理解し、それでも芸能界で生きていくために出来レースに乗る重曹ちゃん。
あかねの言葉は芸能界を全く知らない者の夢物語であり、またかつて演技そのものに憧れていた自分自身を見ている様で。
だから、重曹ちゃんはあかねを突き放します。
『【推しの子】』60話 より
あかねにとっての重曹ちゃん
突き放した重曹ちゃんと突き放されたあかね。
お互いがお互いの道を進む。
周りに必要とされたかった重曹ちゃんは、周りに必要とされる、歩調を合わせるような演技を磨いていきます。
しかし、それは「あかねの憧れた重曹ちゃん」ではありません。
あかねが憧れた重曹ちゃんはテレビの画面の向こうに居た圧倒的で、自分自身が輝く太陽のような演技をしていたのです。
だからこそ、あかねはその演技をトレースするのです。
かつて、重曹ちゃんがしていた、あかねが思う「重曹ちゃんがすべき」演技。
身勝手な重曹ちゃんへのリスペクトなのです。
『【推しの子】』60話 より
あかねの"気持ち悪さ"
以前から感じていて、記事にも書いたことがある、あかねの中に潜む「気持ち悪さ」。これに注目していこうと思います。
そこにあるのは「レッテル貼り」だと思います。
以前から誰かを「演じる」ことに才能を発揮するあかね。
確かにアイの演技はアクアに本人を思い出させるほど天才的で、実物に近いものでしたが、それが出来たのは妄想に近い考察による「アイはこういう人間である」というレッテル貼りのお陰です。
その技術を本などで勉強したことが今話でも描かれています。
しかし、このレッテル貼りは何も「正解」ではないのです。
あかねがする「理想の重曹ちゃん」の演技はまるで重曹ちゃんがこうするべきだと言っている様で、しかしその演技には重曹ちゃんが実際に経験した物事の何割が含まれているのでしょう?
ましてや、重曹ちゃんは自分の演技やこれまでの人生に後悔しか持っていない訳ではありません。
だから、あかねの行為は重曹ちゃんのこれまでの経験や、そこからした努力などを次々と否定するものであるのです。
それは単純な演技ではなく、リスペクトというエゴに近い感情が混じっているからかもしれません。でもこう考えてみると他人にお前は間違っていると、お前はこうなるべきだと、押し付けられる気持ち悪さが共有できたでしょうか?
重曹ちゃんとアイの共通点
さて、あかねの過去や一面が描かれた今話ですが、私が一番注目したのはそこではありません。
『【推しの子】』60話 より
かつて重曹ちゃんがしていた演技。
それは太陽の様で周りを全員食べちゃいそうな演技。
このフレーズを見て思いませんでしたか?
アイに似てね?
あかねはアイのトレースもしていました。今回もある意味で重曹ちゃんのトレースな訳です。つまるところあかねの演技はどこまで行っても誰かの真似です。
しかし、今回のあかねの回想によって、重曹ちゃんはかつてアイのような演技をしていたことが分かります。しかも真似などではなく天然で才能で努力で。
つまり、あかねはアイを意図してトレースしたけど、重曹ちゃんは天然でアイと同じような演技をしていたわけなんですよ。
重曹ちゃんのこの性質はアクかなを導く一つの重要な根拠になりませんかね?
今週の重曹ちゃん
「本当はそんなこと思ってないでしょう?」にこの顔。重曹ちゃんは大人にならざるを得なかった子どもなのです。だからこそ、芸能界に入ってきた子どものあかねにどう接するか、僅かですが困惑の表情を見せます。
『【推しの子】』60話 より